「みっちゃんみちみち」の謎(続報)

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前回の調査から数年、各地の探求者たちに我々の調査報告は参照され、そしてまた新たな報告が我々の元にも入って来ていた。

 

民族音楽学者小泉文夫氏が「みっちゃんみちみち」を記録したのは昭和36年であったが、

それ以前にこの歌が存在したという報告が各地より得られている。

実際に歌ったことがあるという方々の証言を総合すると、この歌は昭和初期には全国に広まっていたと推測される。

 

そして今回、「みっちゃん」の起源をさらに遡る可能性のある文献が報告された。

 

井上ひさし氏作の戯曲、「しみじみ日本・乃木大将」(1979)

大日本帝国陸軍大将乃木希典の史伝が主として彼の愛馬たちの視点で語られているが、作中に乃木とその弟玉木正諠、そして連隊の副官が郷土の囃し歌について語り合う件がある。

乃木兄弟は長府の出身(出生は兄弟とも江戸の長府藩邸だが、乃木10歳の時に家族で長府に帰っている)、副官は小倉の出身であるが、囃し歌の中には双方に共通するものがあるといっていくつかを歌ってみせる。その中の一つとして、玉木が

「道之助だと『道ちゃん道道糞たれて、紙がないとて手で拭いた』・・・ですよね」

と、まさに「みっちゃんみちみち」を歌うのである。

その他にも安之助なら「安ちゃん屋根から落っこちて」、勝之助なら「勝ちゃん数の子鰊の子」と、名前をからかう歌が登場し、「みっちゃん」は数あるバリエーションの中の一つという扱いである。

この戯曲は1979年の作であり、実際に乃木らがこの歌を歌っていたという直接の証拠ではないが、仮に井上氏が十分な時代考証を基にこの件を書いたとすると、次のことが推察される。

・乃木は1858年に長府へ移住しているので「みっちゃん」の起源は遅くとも1800年代中期にまで遡ることができる

・1800年代中期には、長州、小倉で同じ「みっちゃん」が歌われていた

・乃木が10歳まで過ごした江戸についての記述は作中には出てこないので、当時江戸では「みっちゃん」が歌われていなかった可能性がある

さらに拡げれば、このころには中国、九州地方にすでに「みっちゃん」が浸透しており、この地方の出身者が帝国軍上層部の多数を占めていた明治初期に、全国へ拡がった可能性も考えられる。

ここにおいて、みっちゃんの起源は昭和から幕末にまで遡り、さらに東京ではなく、西日本起源の可能性が出てきたのである。

 

もっとも、井上氏がそこまでの時代考証を行わず、自らの幼少期に引き寄せて書いていたとすれば、また別の可能性が示唆される。すなわち、

井上氏は1934年(昭和9年)、山形県の生まれであるので、当時山形にも他の多くの囃し歌と共に「みっちゃん」が伝わっていた

ということになる。

 

これらはみな、井上氏本人にでもお聞きしない限りは推測の域を出ない。

しかし、「みっちゃん」が遅くとも昭和初期には子供たちの間で歌われていたことは間違いないようである。

 

「みっちゃん」をめぐる近代日本探求の旅は続く…。

 

P.S.井上ひさし氏の情報を提供してくださったべる様に深謝いたします。

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コメント
この記事へのコメント
ええー
確かになつかしいでもみっちやんの歌はわらべうたとしってびっくり
2011/06/07(火) 21:43 | URL | ゆり #N40jBcWQ[ 編集]
イロイロ
色付きの文字v-8確かDrスランプでアラレちゃんが歌っていたもったいないからなめちった今は食べちゃったに変化している
2011/06/07(火) 09:16 | URL | ゆり #x5pa3jmc[ 編集]
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